Yes! You Can Do It!! 英語教育の現場から
Sunday, May 19, 2013
Wednesday, May 15, 2013
言葉の力②
前記事で批判した、ビブリオバトル、ですが、なんと「全ての都立高校」が1名の生徒を参加させなければならないそうです。また、「言語能力推進指定校」は5名の生徒が参加しなければならないそうです。
1.発表参加者が読んで面白い本を持って集まる。
2.順番に1人5分間で本を紹介する。
3.それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。
4.全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員一票で行い、最多票を集めたものを「『チャンプ本』」とする。
本の愛好家が日曜日に近くの喫茶店に集まってやるならおもしろいでしょうね。しかし、教育委員会が主催し、高校生に強制参加させ競わせるとしたら、私には許せません。「読書」という行為に対する冒涜でしかありません。こんなのにすすんで参加しようとしてる国語教員がいたらその場で「教師やめろ!」と怒鳴りつけてやりたいくらいです。
この「高校生書評合戦首都大会2013」(ビブリオバトル)は、東京都教育庁指導部指導企画課というところが主催しているようです。教員対象の説明会資料を入手したのですが、おかしなことがいっぱい書いてあります。
「言葉の力」再生プロジェクト
「世界基準の言語力」「日本人の感性と情熱」
>言葉の力を再生し、世界で活躍できる若者を育てる。
意味不明です。世界基準の言語力とは何か?英語のことですか?何が言いたいのでしょう?大体「再生」というのは、死んだものを再び生き返らせることです。「言葉の力」は今死んでいるのでしょうか?死んでいるのだとしたら説明してほしい。また、資料にはないですが、指導主事はこんなことも言っていたとのこと。
世界基準の言語能力を日本人の感性だけでなく(身につけさせる?)
どうやら、国粋主義者の前都知事に気をつかって「日本人の感性と情熱」という文言を加えたのはいいが、本音は「世界基準」で「日本人の感性なんていってたら世界では通用しない」ってことなんでしょうね。もう、バカ丸出しではないでしょうか。でも結局、この事業の「ねらい」は以下のもののようです。
「ねらい」 活字に親しむ学校づくり(を通して児童・生徒の)言語能力の向上
結局、こどもにもっと本を読ませたいだけですよね。それは大切ですよ。でもね、前の記事に書いたように、こどもから本を読む時間と環境を奪っているのは教育委員会主催の「教育活動」や「推進事業」です。こんなことしなくても、週1時間、ただ本を読む時間をつくり(朝の10分読書では足りません!)、教員が読書の楽しさを伝える努力をすればいいのです。前の記事で紹介したブログを読みなさい!そして、以下の本も読みなさい!(ここまできたら何としても翻訳を出そうと思ってます!)

- 作者: Donalyn Miller,Hillary Huber,Sean Runnette
- 出版社/メーカー: Tantor Media Inc
- 発売日: 2012/02/20
- メディア: CD
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これも読みなさい!(日本語訳が結構ひどいので、英語が読める方は是非英語版を。)
もう馬鹿らしくなったので「資料」を引用するのはやめます。とにかく無機質な用語を振り回しているだけで、とてもじゃないけど「日本人の感性や情熱」も伝わらないし「言葉の力」も感じられません。このページ見てみてください。
ここまで怒ることもないかもしれません。しかし、こんなことに莫大な税金が使われているのです。例えば、くだらない資料をつくり、現場の教員に「指導・助言」と称して「命令」をしている指導主事だけでもたくさんいます。もちろん、ヒラの教員よりは高給取りです。様々なパンフレット、会場使用費、研修に参加させられる教員の交通費、お偉い大学の先生を講師に招くための報償費....
繰り返しますが、本当にこどもに本を読ませたいのなら、
学校の図書館にもっと本を入れる。
専属、フルタイムの学校司書を全ての学校に配置する。
教員こそ読書家になり、読書の楽しさを生徒に伝える。
週1時間、図書館で本を読むだけの授業を設ける。
これだけでいいのです。私の妄想だけで言っているのではありません。実際に自分でやったこと、上に紹介した本に書いてあることです。私の娘は、小学校の「図書の先生(=学校司書)」さんが、毎週1時間「図書」という授業をやっていました。娘が6年生のときに見学しましたが、素晴らしいの一言。最初は先生の読み聞かせ(6年生なのでちょっと長めの本を途中まで。するとこどもは「えー!もっと読んでよ!」先生は「じゃあ借りて読みなさい!」これぞプロの技。)その後、何人かの生徒が最近読んだ本の紹介をする。(「バトル」ではない!)先生のコメントも素晴らしい。その後、先生が何冊かブックトーク。いろんなジャンルを紹介します。「○○君、こないだ鉄道博物館行ってすごかったって行ってたよね。こんな本買ったから読んでみたら。」などと、本当に一人一人のこどもをよく見て、多くのこどもが「読みたくなる」ようなブックトーク。これも「プロ」の技。で、最後の20分くらいは、こどもが勝手に好きな本を読む時間。チャイムが鳴ったら「はーい!じゃあ貸し出しするよ!」と言って、最低1冊本を借りていく。これが「図書」の授業でした。
残念ながら、下の息子が5年生になるとき、この先生もご退職。その後司書は補充されず、図書の時間はなくなったとのこと。娘は中学生になった今でもよく本を読みます。私が本屋に行くとフラーっとついてきて、レジに5冊くらい本を持ってきます。5年生から図書の時間がなくなった下の息子は、うーーーーむ。男女の違いはあるとはいえ、娘を本好きにしてくれたのは、明らかにこの素晴らしい先生と「図書の時間」です。娘によると、司書の先生は「○○区は本買うお金くれないのよねー。」といいながら、自分のお金でたくさん本を買っていたとのこと。
こういう本当に素晴らしい先生の教育活動と比べたら、教育委員会主催の「○○向上事業」なんて、「教育ムラ」の既得権益を保持あるいは拡大することしか考えていません。
国民のみなさん、もっと怒りましょう!
補足
言葉の力①
言語能力推進事業というのがあります。
こんなことに、莫大な税金を使っています。いくつかの学校を「推進校」に指定して何かやらせて報告書を書かせたり、「研修会」を開催させて「指導主事」や「偉い大学の先生」を招いたりしています。ビブリオバトル、なんてのも開催しています。全都立高校生対象に本を紹介するパンフレットを作って配布しています。とにかく、たくさんのお金を使っています。(お見せしたいです。ひどい代物です。作った人間が、本当に本を読んでいるのか?と疑いたくなります。)
もちろん、これで本当に高校生の「言語能力」が「高く」なるのであれば税金をいくら使っても文句は言いません。。しかし、普通の人がみたら、こんなことして「言語能力があがる」とは思えないですよね。
その一方で、学校図書館の司書をどんどん減らしています。図書館で本を買う予算もどんどん削られています。「学力スタンダード」と称して、生徒と教員を「点数」で追いたてようとしています。こんなことをしながら、担当の指導主事はぬけぬけと「言語能力向上はひとことで言えば活字に親しむことです。」と言いました。(それだけのための研修かいな!と参加者全員ずっこけました。なんと、「優秀」な指導主事先生でしょうか。)
言語能力推進を現場で担う教員は、自分が考えていることを論理的に発言する機会はありません。「週ごとの指導計画」「自己申告書」「研修報告書」など、事務的な文書をあたりさわりなく書く仕事ばかりしています。特に若い教員が、本を読んでいろいろ考える時間もありません。若い教員は、会議でもほとんど意見を言いません。言ってはいけないと思っているようです。教員の「言語能力」は激しく低下しています。別に、質が下がったわけではありません。淡々と業務をこなす「ロボット教員」を教育委員会が養成しているのです。(私は、「サラリーマン教師」という言い方はサラリーマンの方に失礼なので使いません。まぁ「ロボット」にも失礼かもね。)
国民のみなさん、もっと怒ってください。これが「教育ムラ」の実態です。多額の税金を使って、教育委員会や優秀な先生方の「実績づくり」だけが行われ、生徒から「学びの機会と環境」をどんどん奪っているのです。教育委員会は、本気で「愚民育成」をたくらんでるとさえ思っています。(※1)
それにひきかえ、こんなすばらしい「私塾」もあります。この講師の方のブログ、じっくり読んでみてください。これぞ、「理想の学校」「本当の教育」なのではないでしょうか。学校の教員として、本当に恥ずかしくなりました。
Friday, April 26, 2013
ネットサーフィンすると
今日は、あまり語りません。
ネットを彷徨ってぶち当たったサイトのリンクだけおいときます。
現場の先生、そして教育費のために額に汗して働いているお父さんやお母さんたちの目にとまるといいな。
・・・・・・・・・・・・
学校でも、塾でも、子どもたちは何度も学力テストを受けます。
だったら先生にも、「全国教員学力テスト」があってもよさそうですね。
英語の先生にはもちろん「TOEFL」を受けてもらって点数を公表!
http://www.gk-cup.jp/
http://www.gk-cup.jp/
予備校の授業、見たことありますか?この英語の授業、私は理解できません。
書店の英語学習コーナーへ行くと、かならず目にとまる方々です。
英語が「できるようになる」と書いてあります。
でも、「使える」という文字を見つけることはできませんでした。
英語は使えてナンボとあります。でも、英語で書かれた記事はただの一つもないようです。
英語でブログを書いてあげれば、読者の勉強にもなるでしょうに。
*日本人の英語はここがダメ*といった本をいくつも執筆されている先生は、
ここでも大活躍ですね。
Tuesday, April 23, 2013
教育再生は大学から
通信制の大学にこの4月入学した生徒が、どうしても講義を聞きたい教授がいるということで、池袋の近くにある某有名R大学に科目履修生として講義に参加したそうです。以下、彼の報告。
先週から、R大学の科目履修の授業が始まりました。
初日は現代心理学部の授業でしたが、その緊張感のない授業に唖然としました。
先生は遅れてくる、早く終わる。60名くらいの生徒(おそらく二年生以上)は、
私語が多すぎ。教授はモゴモゴ言っていて、よくわからない。
面白そうな気配はするが、伝わらない。
それにしても、なんでみんな、あんなに友達同士つるんで行動するのか。
また、社会学部の授業は、大教室でした。内容は面白そうなのですが、これまた私語の多さにびっくり。注意しない教授。大学ってなんだ!と真剣に腹が立ちました。
その後、バイト先でR大学の経済学部の4年生と一緒になり、
科目履修の話をしたら、
「出たい授業があったら、どんどんもぐればいい。大学の授業に、そんなに高いお金を払う価値はない。そのためにバイトを増やすつもりなら、バイトをセーブしてでも、通信の勉強に専念した方がいいのでは」
と、言われました。
「教育再生」とか「教育改革」とか言って、小中高の教員をバッシングしている人たちへ。まず大学の教員なんとかしなきゃダメっすよ。こんな教授、小・中・高なら完全に「指導力不足」の烙印を押されますよ。
メディアの方にもお願い。教育に関する「専門家」として大学の教員に教育の話しさせるのやめてもらえますか?(まともなこと言うのは内田樹氏くらいだ。)だいたいね、もし小中高の教員の質が悪いと言うなら、免許発行した大学にこそ責任があるでしょ?教員免許更新で大学の教授の講義を受けなきゃいけないってだけで、私なんか頭に来てるんだからね。
そういえば大学入試にTOEFL導入って話はどうなったんでしょう。
入試にTOEFL導入する前に、全大学の教員にTOEFLを受験させ、ホームページでスコアを公表したらいかがでしょうか。学生に「グローバルな社会で通用する英語力」を求めるなら、教授陣も当然その力なきゃいけないでしょ?TOEFLスコアがその指標になるというなら、教授のスコア公表してください。
みなさんも呼びかけてください。
「大学教授」こそ諸悪の根源なんじゃないですか?
Wednesday, April 17, 2013
不毛な議論③
文科省を批判しすぎたので、自己批判として現場の高校教員の批判を。
確かに、高校教員は受験第一、文法訳読が大切と言います。進学校から来た教員に「私は東大に入る生徒を指導してきた実績がある。コミュニケーション重視の授業などできないし、私の仕事ではない。コミュニケーションなんて言っていたら大学入試に対応できない。」と若い教員に言われたことがあります。
でも、教員が文法訳読にこだわる本当の理由を私は知っています。それは自分が英語でコミュニケーションができないからです。
英語できない⇒バレルとやばい⇒文法問題出しとけばもっともらしく「説明」できる⇒自分は「英語ができる」と思わせられる
ってこと。案外単純です。私のクラスには12歳のときまでフィリピンにいて、英語に関しては私がかなうわけないような生徒がいました。(ただし英検1級は英語力だけでなく一般知識も必要なので私が先に受かりましたが。)その生徒、中学の英語の成績はなんと「3」です。「お前不登校だったのか?」と聞いたら、「何言ってんの!ちゃんと行ってましたよ!」と怒られました。純粋に「テスト」ができなかったのです。そりゃそうです。文法問題や和訳問題は本当の英語力とは何の関係もないんですから。
前の記事で、センター試験を批判しましたが、実際に問題を見てみましょう。
2004年の問題
Taro is now devoting all his time and energy ( ) English.
①studying ②to studying ③to study ④study
正解は②です。spend time doing...と言ういいかたもあるので①にする人も多いでしょう。また、学校英文法をしっかり勉強した人は③にします。to不定詞です。
では、なぜ正解が②なのか。devote O to 名詞のように使うからです。get used to 名詞、とかと同じと参考書には書いてあります。動詞にingくっつけると「動名詞」となり、名詞と同じ働きをします。だから②。
この問題の意図は何でしょうか?直感的に①と思った人や、まじめに勉強して③にした人を「ひっかける」ことしかありません。toの後にingが来るのは圧倒的に少ない※1し、この文を①や③で書いたとしても「コミュニケーション」には一切支障はないのではないでしょうか?(①や③で書いたら、まったく違った意味になってしまうといのであればまだわかります。)
この問題が、「できないことを指摘する問題じゃなくてできることを確認する」問題ですか?文科省の見解は?
みなさんも、こういう視点で「センター試験」や「コミュニケーション能力を測る方向にシフトしている」大学入試問題を分析してみてください。
※1グーグル検索で件数を調べました。2桁違いますよ。
"to study"⇒約 111,000,000 件
"to studying"⇒約 3,300,000 件
ちなみに"devote much time to study"という用例も検索してみました。何と
約 23,800 件
もありました。こんなに多くの人が間違えているってことは、コミュニケーションに支障がないってことじゃないですか。
さらに"devote much time to studying"と「正しい」用例も検索してみると、
約 4,480 件
Sunday, April 14, 2013
不毛な議論②
批判ばかりするのはよくないですね。自分の意見も述べておきます。「英語の授業は英語で!」という方針をどう思うか。
何とも思いません。
It doesn't matter much to me... って感じ。
それよりも重要なのは、
「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とする」
ことです。これができれば教員が日本語で話そうが英語で話そうがスペイン語で話そうが関係ありません。(というか、教員が話す時間は少なければ少ないほどいい。)
英語が使えるようになるためには、「使う」しかないのです。使って使って使いまくる。それが大事。その意味では指導要領の上の部分には100%同意しますよ。
でも、そんなこと日本の教育環境で許されますか?許されません。日本の教育現場は「間違いを正す」場になってしまっています。間違いだらけの英語を使うことは許されないのです。そんな状況で、生徒が英語使うわけがない。使おうとすればするほど間違えて減点されるからです。
生徒が書いた英語を見て教員がこんなことを言います。「文の最初が大文字ってことも知らない。」「be動詞も正しく使えない。」「過去形使わずに、全部wasつけて済ませてる。was goとか書いてるんですよ。信じられない。」
定期テストで自由作文の問題を出すと、「文法ミスはマイナス1点」「大文字じゃなかったらマイナス1点」「スペリングミスはマイナス1点」「ピリオドがなかったらマイナス1点」ということを本気で議論しています。書いた内容がどうかというのはほとんど話題になりません。だから、「使えば使うほど減点される。」のです。
(ちなみに私は高1~高2では、「書いてオレに意味が伝わった語数分を点にする。」という方針でやってます。高3になったら、内容や構成等も考慮します。)
「『できない部分を指摘する』テストから『できるようになったことを明らかにする』テストに改善する必要がある。動機付けのためにも授業やテストにおいて、子どもたちに小さな成功体験を重ねさせることが英語教育に求められており、その趣旨は新学習指導要領にも反映されている。学習者を大切にした英語教育改善になっている」
と言っています。「小さな成功体験を重ねさせる」という部分は本当にその通りだと思います。これは、こどもにスポーツや楽器を教えるときも同じ。ボールがバットにあたった!相手のグローブにボールを投げることができた!あの曲のイントロが弾けた!こういうことって、めちゃくちゃうれしいですよね。そういう体験をたくさんすれば、外国語がどんどん面白くなります。面白いからどんどん使う、使えば使うほどうまくなる。うまくなればもっと使う。もっと使うからもっとうまくなる。という、いい循環が生まれます。
でもね、こういうこというんなら、入試の英語は全て廃止させないとダメでしょう。
「『できない部分を指摘する』テストから『できるようになったことを明らかにする』テストに改善する」
これ完全な詭弁でしょ。テストはテスト。要するにテストの結果を判断する側(要するに学校当局ね)が、「できない部分」に注目するか、「できた部分」に注目するかの違いです。結局、テストをして、その結果を「成績」や「入学許可」に使っている以上、こんなこといくら言っても何の意味もないのです。
「その趣旨は新学習指導要領にも反映されている。学習者を大切にした英語教育改善になっている」
「なっている」って...学習指導要領は単なる書類です。その文言を変えたくらいで「改善になっている」とはどういうことでしょうか。「改善につながる」ならまだわかりますが。文科省は学習指導要領の「趣旨」が改善につながるための努力はしているのでしょうか。
大学入試が変わらなければ英語教育も変わらない、という現場からの指摘に対しては「大学入試問題はどんどん変化している。知識を問う問題からコミュニケーション能力を測る問題にシフトされつつあるが、それに気付いていない高校も多い。過去問中心の受験勉強では苦労のわりに学習効果は少なく、生徒が気の毒」と、「受験英語の思いこみ」に注意を促した。
大学入試問題の傾向が変わっていることは確かです。ただし、「コミュニケーション能力を測る問題」は言いすぎでしょう。そこまでは行っていません。そもそも、コミュニケーション能力なんて筆記テストで測れるのでしょうか?また、測れるとしても、それを正しく採点できる人材が大学側に十分いるのでしょうか。絶対いません。
また、「生徒が気の毒」とも言ってますが、実際現場の教員は、合格できるための力をつけさせようと思っています。「過去問中心の受験勉強では苦労のわりに学習効果が少ない」というのであれば、コミュニケーション中心の「受験勉強」の方法を具体的に提示し、もしそれが失敗したら責任をとるくらいの覚悟も示さないといけないでしょう。違いますか?
特に進学校の教員は、新しいことをするのはすごく勇気が必要です。新しいことをして、もし受験に失敗する生徒が続出すれば批判されるのは教員です。前と同じことをやっていて失敗する分には「生徒の努力が足りなかった」で済みます。だから、やり方を変えるのは大変な勇気と、絶対に成功するという自信がなければできません。そして、生徒も保護者もその方針を理解しついてきてくればなければいけません。
コミュニケーション重視の学習が受験にも効果があるというのは私も同意します。しかし、生徒や保護者に理解してもらうのは非常に難しい。その部分でも文科省としてサポートしなければならないでしょう。一方的に現場の教員を批判する資格は文科省にはありません。
(実際私も「塾の先生にそんなやり方していたら受からないと言われましたが大丈夫ですか。」と何度も言われたことがあります。私は、「塾の先生を信じるなら俺のいうことは聞かなくていい。内職していても構わない。それで成績を下げるようなことはしないから。ただし大学落ちても俺のせいにはするな。」と言うしかありません。)
まずは、文科省が作成している「センター試験」がいかにコミュニケーション能力を測っているかを証明してください。その上で、センター試験で高得点とるためには、どのような「コミュニケーション活動中心」の授業を展開すればよいかも提示してください。
間違っても、「それは現場で工夫しろ。」とは言わないように。そんなこと言ったら本気で怒りますよ。
「言語習得は、曖昧さに耐えながらその曖昧さを減じていく営み。日本人は英語ができない、と思い込みすぎではないか。その思い込みは、これまでの高等学校現場での英語教育が、文法を知識として身に付けさせることと、訳読することを中心にしてきたことが原因。いまだ、かつてのラテン語教育と同じ手法(文法訳読)を使っている高等学校も少なからずあり、読解はできるが、音声面での習熟が全くできていない生徒を生み出すという実態がある。英語をコミュニケーションの手段として活用する能力を身に付けさせることができていない。この点を抜本的に改善することが、日本の英語教育に強く求められている」
「曖昧さに耐えながら」の部分は同意。この論文にも、第二言語(外国語)学習支援の「原理(Principle)」の1つとして、"PROMOTE AMBIGUITY TOLERANCE(曖昧さに耐えることを促進する)"が挙げられています。
また、「日本人は英語ができない、と思い込みすぎではないか。」も同意。拍手したいくらいです。私は「日本人は英語ができる!」と思っています。できないと思わされてるだけ。そう思わせてるのは「英語ムラ」です。「これまでの高等学校現場での英語教育が、文法を知識として身に付けさせることと、訳読することを中心にしてきたことが原因。」はい、これもその通りです。高等学校の教育現場も、英語ムラ3丁目にあります。
しかし、「文法訳読中心」で学習してきて、「英語が使えない」と思い込まされている生徒が、センター試験で高得点を取っているのも事実です。センター試験が、学習指導要領を反映しない無責任なテストと言わざるをえません。
以前文科省は、「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想」を策定しました。(この記事も参照。)これ、裏返せば「日本人は英語が使えない。」って言ってることと同じでしょ。結局、私から言わせれば文科省だって「英語ムラ」の中にあるのです
あれ?結局批判になってしまいました。
ちょっとフォローもしときます。
太田氏自身は本気で生徒のことを思っていますし、本気で日本の英語教育をよくしたいと思っている人だと、実際生でお話を聞いて強く思いました。また、引用させてもらった文章も、本人の発言を誰かが「編集」しているでしょうから、そのまま批判するのは筋違いかもしれません。
しかし、文科省として学習指導要領をつくっている以上、現場の教員として批判は遠慮なくさせてもらいます。太田氏はいろんなところで講演をしています。ぜひみなさんも一度直接お話を聞いてみてください。(あんまフォローになってないね。)
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