TAB 多読 -tadoku and beyond!-  

いっぱい読んでたっぷり聞けば、英語はかって出てきます!

  

2012/06/29

辞書はどう役にたたないのか

どの辞書がいいのか、という話はネットにいくらでもありますので、
今度は、経験談、辞書はどう役に立たないのか。

ネットで英語話者の人とメールしていて気付いたこと。
「あの人は、他人に興味を示さないんだよねー」
というのを、私はindifferentという単語を使って表現しました。
すると、なぜかひっかかっている様子。
どうもindifferentには、マイナスの印象が強いらしい。
結局、二人が納得した表現は、blind to others' feelings でした。

indifferentを辞書で引くと、無関心な、無頓着な、冷淡な、平気な、
と並んでいますが、
無頓着や平気、と、冷淡では、その印象にかなりの違いがありますよね。
そうした細かな違い、肌触り、ニュアンス、そういうものは、
人と人とのつきあい、それが無理なら本やドラマから、
「感じとる」しかないのです。
経験ぬきで、辞書の意味を信じて英語を使うと、思わぬ誤解が生じます。

次に、ネット辞書といえばこれ、というぐらい有名な辞書。
試しに「鼻が」といれてみてください。
どんな表現が出ますか?
花粉シーズンに、鼻がとまらなくて困っちゃうは、
My nose is runningと簡単に表現できますが、
某ネット辞書や古い辞書を使ってしまうと、
sで始まる単語にぶつかるかもしれません。

で、その単語を使うとどうなるか。
あるアメリカ人英語教師の人によると、
その単語を聞いただけで、虫唾が走るのだとか。
そういえば、その単語と似た響きの名前が、ハリーポッターの中にありました。
癖の強い人物でした。
・・・・・

辞書はほどほどに使うものです。確認するものです。
そこから学ぼうとしてはいけません。
実生活、本、DVD、映画などから直に吸収した英語だけです、使えるのは。

(Writer: MrsMalone)
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辞書?何それ。。。 A Dictionary? What the hell is it?

辞書について、早速続き。

英和辞書なんて、英単語に合う日本語訳が書いてあるだけでしょ?でも、不思議に思いませんか?今まで数十年、毎年毎年、英和辞書が発行されてそれなりに売れてる(売れてなきゃ新しいの出ません。)。毎年毎年、「学習英和の決定版!」とか言われてる。いろんな「付加価値」がつけられてる。それが数十年続いているのです。

要するに、出版社自身が、「今までの辞書使っても英語ができるようにはならない。」ってことを認めているのです。だから、新しいのを出し続けてる。そう思いませんか?

英語(外国語)ができるようになるためには、辞書は必要ありません。

別に最初から全く母語を使わないで外国語をやった方がいいと言ってるわけじゃないですが。

高校の時に私のスペイン語の授業を選択していて、大学のスペイン語学科にいってスペインに留学した若者はこういってました。

「大学で西和辞書使わされてた。あたしまじめだから結構ちゃんと辞書ひいてた方。でもさぁ、スペインの大学行ってしばらくして気づいたんだけど、西和辞書ってウソばっかりじゃん。授業とかで初めて知った単語とかを家帰って西和辞書見たら、全然違う意味でのってる。最初は自分がおかしいと思ってたけど、1年して、スペイン語普通に使えるようになった今では、やっぱ西和辞書がおかしいと思うよ。」

こんなボロくそ言われたら、命を削って辞書作った先生がかわいそうなので、ちょっとフォローすると、彼女が「ウソ」って言うのは、別にウソではなくて、「この単語にこういう日本語をあてるのはちょっとピンと来ない。」ってことだと思います。要するに、辞書を引いて日本語をあてても、その単語を「使える」ようにはならないってことです。

ただ、受験勉強をひかえた高校生みたいに、今の自分の力では到底読めないものを「無理やり読まなきゃいけない」状況の人は、使うしかないかな、とは思います。しかしその場合も、辞書を「じっくり読む」なんてことをせずに、訳語を何個か見たうえで、あとは、文脈から「だいたいこんな感じ?」くらいで読み進めることを「強くおすすめ」します。その際は、できるだけ時間をかけない方がいいから、当然電子辞書あるいは、PCであれば「マウスオーバー辞書」がいいと思います。

が、再度言っときますけど、ほんとうは辞書なんか使わない方がいいと思います。(受験対策でもね。)


TSJ Wrote
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辞書の話(序かな?)

英語教育のブログなのに、
「辞書」の文字が登場したことはあるのだろうか??

昨日、高校生を娘に持つ友達からメールが届きました。
「”高校生が使う辞書”についてのお考えをお願いしま~す。」
・・・・・
まずは聞く相手を間違えているよと返事しましたが・・・、
他の先生から意見が出ることを期待して、
私の経験談など書いてみます。
賛同される方は、ほぼ皆無かもしれませんが。

*********
辞書で驚いたこと。
① 中学:「この辞書は、発音がカタカナで書いてあるんだ。すごいだろう。」
② 高校:「辞書は読むものだ。」

①発音がカタカナで書いてあることを利点だと考える、
それはつまり、生の英語をほどんど聞いたことがない印ではないか。
英語の音をカタカナに変換するクセをつけてしてしまったら、
つながり変化しする生の英語は聞き取れないでしょう。
英語を話しても、通じないことのほうが多いでしょう。

②へえ~そんなに「読む」ことを推奨されるんですかー
「じゃあ先生って、普段から、
たーくさんの英語の本、読まれているんでしょうねえ~
ちなみに最近、感動された本はなんですか?教えてください。」
とでも突っ込んでみるのはいかがでしょう~(受験に推薦はいらないよ、という場合)

考えてみてください。
辞書について語る先生はいっぱいいます。
でも教科書「だけ」を読むのに、辞書を使う必要があるでしょうか?
そもそも、用途の広い単語、意味に広がりがある単語は、
初心者が辞書をひいても、頻繁に使われるのはどの意味なのか、
類推することは不可能でしょう。
一方、専門用語、定義のはっきりしている単語、physicalな単語を、
わざわざ調べさせるぐらいなら、
はじめから教科書に載せておけばいいのではないですか?
(先生用のガイドにはのっていますよね??)

***********
というわけで、私は辞書をほとんど使いません。
最近、趣味と仕事の間あたりで英語を使っていますが、
それでも辞書の使い方は注意しないと、失敗します。
受け身に英語を使っている間は、辞書はありがたく思えるのかもしれません。
でも、発信側に回ってみればわかります。
辞書というのは、現実世界の「一部」を切り取ったものでしかないんだと。

続く予定。。。
(Writer: MrsMalone)
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2012/06/24

読みつつ、聴きつつ、そして

"Education is not the filling of the pail, but the lighting of the fire."
                                                                       William Butler Yeats

pleasure readingであれ、学校の課題でしぶしぶするような多読であれ、
英語話者に交って、自然に振る舞えるだけの英語を身につけたいのであれば、
いろんな本をたくさん読むこと、それがなによりです。

そうなんですが、読んでいるだけで、話したり聞いたり書いたり、
何でもできるようになるというわけではないでしょう。
それぞれ必要に応じて、ながら聴き、音読、シャドーイング等々、
習慣にしていくことが必要です。
こうしたことを短時間でもいいから毎日の「習慣」にできさえすれば、
英語力なんて自然につくんです。

(もちろん力がつくその速さには、個人差はあるでしょう。
若い時のほうが顕著な変化を見せるだろうし、
性格的にはちゃらんぽらんな人のほうが意外と向いていたりするのかも。
学校では何でも几帳面に記録をとることをすすめますが、
記録をとるってことは、それが「習慣」になっていない証拠ですね。)

ただ、仕事や学校で英語が必要など、
外部からの強制力がない大人の場合であれば、
「クセ」がつくように「工夫」する努力を惜しまないだけの、
「目的意識」それが肝要でしょうか。

で、多読ですが、初期の段階で語数を励みに進めるのは、
それで自分の楽しみが増すのであれば、
励みになるというのであればいいことですよね。
でも、ある程度読んできて、そこからさらに「しぶとく」継続させるためには、
あるいは本を読むこと意外にも、英語を使って何かをしてみたいのなら、
「目的意識」がどうしても必要かと思うのです。
語数を伸ばすことだけを考えて、漠然としているのって、
冒頭のメッセージのようなものではないでしょうか。

その「目的」ですが、一般的にはまず英会話ということになります。
でも日常的に英語を話す相手がいない場合、
そんなことやって意味ありますか?何が楽しいんだろう??
英会話じゃ受けないから「英対話」なーんて言葉だけ変えて、
中身は一緒なビジネスをするとこもあるようですが。

それよりも今は「気軽」に「書く」ことができる
そのほうが、よっぽど使えるチャンスは多くなると思うのです。

英語話者と楽しく会話するためには、しゃべれるだけではだめで、
聞き取りも伸ばす必要があるのです。
ただ聞き取り能力は、年を重ねると、どうしても不利。
聴力を知識なりでカバーにも限界があります。

でも書いて人と交流するのであれば、
多読で大量の文章を読むことに慣れていけば、
相手からくるメールも、ストレスなく読めるようになるでしょう。
話すのには瞬発力が必要ですが、
書くのであれば、ほどほどに時間をかけて、
ほどほどの正確さなりに仕上げて発信することが可能です。
それこそ年齢があがれば「知恵」でカバーできる。

さらに相手からの返事を見ては、
ああ、こういう点をもう少し詳しく説明すれば、伝わりやすいのかな、
この程度の文法が正しく使えれば、
こういう場で発信してもweirdだという反応は返ってこないんだな、
仲間に入れてくれるんだな、そういうことがわかってきます。
タダでお勉強、とってもラッキー!

・・・・・

私には英語が必要なシチュエーションが全くありません。
ですから多読を始めてからも、ずーっとずっと、
多読やってそして、いったいどういうことに英語が使えるのだろうかと、
模索を続けてきました。
そして数年かかってようやっと、英語を使って楽しむことを見つけたのです。

数年前には、SNSやtwitterなんていう便利なものはまだありませんでしたから、
英語話者の人とつながるのは、ちょっと大変でした。
ペンパル募集サイトなど、試しにやっては、痛い目にあったことは何度もあります。
でも今なら、一言ツイートするだけで、いっくらでも英語話者の人と仲良くなれますよね。
あらゆる趣味に応じたブログやフォーラムも五万とあります。

最初はドキドキかもしれませんが、やってみると意外と簡単だったりします。
(もちろん、PCのセキュリティーが甘かったり、
選ぶ相手を間違えるといけませんが。)
もっと「書く」ことに意識が向かうといい、
それも堅いフォーマルな使い道の限られた文章ではなく、
「暮らし」の中で使える文章が書けること、それによって世界が広がると思うのです。

「書く」については、
書くことで読みにどんな変化が見られるのか、
「気軽」に書くためのヒントとしてfree writing の紹介など、
これから記事にできればいいなと考えています。

(書きたいことがありすぎて、いつも話題がそれていきますが、ご容赦のほどを。)
(Writer: MrsMalone)
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2012/06/21

英語が使える日本人。。。

こんなに連続投稿するつもりはなかったのですが、
また、開いた口がふさがらないなサイトを見つけてしまったので、お許しいただくとして。


英語が使える日本人の育成のための行動計画なんてものがあったのですね。
いつまでこんなことに税金を費やすのだろう。。。

例えば、高等学校卒業段階の目標。
「日常的な話題について通常のコミュニケーションができる」


日常的な話題って?
一人一人、おしゃべりする話題だって、語彙だって、まったく違いと思いませんか?
高校生にとっての日常なら「誰がいい、AKBで。」「えーどっかなー」ということ??

「通常のコミュニケーション」ができるって、どういう状態?
コミュニケーションには、通常ではないのもがあるのか?へええ~
・・・

もう少し書こうかと思いましたが、
あまりにツッコミどころが多すぎて、脱力してしまいました。
あとは、それぞれ、ご覧になってください。

こんなものをまとめあげる暇があったら、予算があったら、
図書館にバラエティーに富んだ多読用の本を入れてください!
英語の教科書にCDをつけてください!
(Writer: MrsMalone)








学校英語はなぜ迷走するのか

英語ができるようになるためには、授業時間数が足りない、
という声があります。
確かに、授業時間数としては少ないかもしれません。
が、しかーし!
子どもたちは、家庭で塾で、相当な時間を英語に費やしていませんか?
それも何の役にも立たない和訳なんかをやって。

(さらにひどいのは、最近はガイドの類が、
((生徒向けだけでなく、先生向けのガイドブックの量を一般の方が見たら、唖然、だと思いますが。。。))
ネットで簡単に調達できるので、
それを丸写しするのに時間を費やしていることも多かったり。。。)


さて、そうやって英語に時間をかけても、
英語が使える人がふえてこないのはなぜなのか。
一つには、英語を「使う」ということが具体的にわかっていないせいではないか。

使う、ということを頭におけば、

A:英語ネイティブに交って、自在に動けるぐらいの英語を目指しているのか、
B:世界の英語話者に交じって、何か目的を達成するための補助としての英語を学ぶのか、

まずは、ここがスタートではないでしょうか。


Aを目指すのであれば、相当量の勉強も必要だし、
なにより、英語圏での数年の生活体験や、それに近い体験ができる環境が必要でしょう。
一方Bであれば、学校での勉強に、趣味で英語を使ったり、多読をしたりすることで、
十分できることです。
両者が必要とする勉強時間なりコミットメントの深さには、
大きな隔たりがある。

学校英語というのは、ここが全く鮮明になっていない。
だから、
発音指導も、どこまでやればいいのかわからない。
文法事項も、何が肝要なのかわからない。
どれだけの正確さを要求すべきなのかわからない。


何もかも、わからないままに進めては、何処までも迷走する。
挙句の果てが、受験、資格試験が目的となり、
儲かるのは英語ビジネス、という結果になっているのではないでしょうか。

ブログで何度もでてくる言葉ですが、これからは英語を「使う」こと、
それも受動的に使うのではなく、能動的に「発信」の側にまわること、
これが何としても必要だと感じます。

「使う」ことによって、AとBの違いがわかる。
例えば、Bを目的としている人が、Aの学び方を真似るのはやめておいたほうがいい。
不毛であるばかりでなく、不要なコンプレックスを抱いてしまうかもしれない、と、
そういうことがきっと見えてきます。

(Writer: MrsMalone)
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2012/06/20

発信すると気づく「害」

前々回の投稿では「害」という言葉を使いましたが、
学校で勉強することが「害」になるわけない、
そう思われた方も多いでしょう。

それで今日は、英語で発信しようとすると、
う学校英語が邪魔をするのか、「害」になるのか、例を挙げてみます。

中学で習う書き換え問題。
あれは、本当に、何がしたいのだろう?
too ~ to ...
so ~ that ...
これなんか、受験にも頻繁に出題されるパターンではないでしょうか。

で、これがしっかり定着してしまうとどうなるか。。。

「とても ~ で、... できなかった」
というタイプの文章に出会うと、即、この二パターン、
too to, so that が頭に浮かんでしまいます。

しかしです。
そういう意味合いを出したければ、何もこの形を使わなくても、
文章のタイプに応じて様々な書き方ができます。例えば、


「昨日は、風が強くて、外で遊べなかった」なら、

It was so windy yesterday that I couldn't play outside.
Strong wind didn't allow me to play outside yesterday.
I wanted to play outside but I couldn't because the wind was so strong.
The wind yesterday was too strong to play outside.
I was scared to play outside because the wind was strong yesterday.
Windy days are not best playing outside, so I stayed inside yesterday.
Strong wind made me stay inside yesterday.
I have to stay inside because the wind was so strong.
When the wind is too strong, it's not fun to play outside, so I stayed inside yesterday.
Yesterday was extremely windy that I stayed inside.
Playing outside is good only when the wind is calm, so I stayed inside.
Strong wind kept me staying inside yesterday.

などなどなど。。。
いくらでも書きようはあると思うんです。
(上の英文は、だだーっと例を出してみただけですので、
これで勉強しようなどとは、思わないでくださいよ!)

なのに、そうなのに、
too to so thatが必ず一番に頭に浮かんでくる。
そういうことはないですか?
同様のことが、いろんな言い回しにも当てはまります。
結果どうなるか。

日本人の出してくる英語は、誰彼みんな、似たりよったり。
「金太郎飴」というわけです。

(そしてその飴がおいしければいいのでしょうが、
英語話者にとっては、得体のしれない味、ということも実は多いのかもしれません。
それは、プロとして英語を使っている人の文章にも当てはまるような気がするのです
予備校で英作文指導をしている先生の文章は、
本当に使い物になるのだろうかとよく疑問に思います。)

(Writer: MrsMalone)
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2012/06/14

Happy Reading, that makes difference!

英語圏の教育関連サイトを探索していると、最近はsummer readingの記事によく遭遇します。
というわけで、なんか楽しげなチャートをミッケです。
多読指導されるのでしたら、生徒に読めと言う前に、自分でもたくさん読んでみよう!
(Writer: MrsMalone)

Summer Reading Flowchart

2012/06/12

非効率ではなく「害」です

ひとつ前の記事でTSJさんは、
「英語も一緒。単語だけ取り出して覚えるのは超「非効率」。要領悪すぎです」
と、書かれています。


非効率、そんなものでしょうか?
私はそんな程度ではないと思います。
学校英語って多大な「害」となるものにあふれている、
今では、そういう結論に達しています。


・高校では、必要度の超低い、重箱をつついたような文法事項を学びます。
そして英語嫌いになります。肝心の文法事項が定着しません。


・単語集ですか?そんなもので覚えた単語が「使える」と思いますか?
そもそも、受験で必要な単語に、日常で役立つものがどれだけあるというのでしょう??


・英語と日本語を結びつけて学ぶことに、何の抵抗もない人が多いようですが、
日本語頭で、英語の出力って、できると思いますか?


・・・


きりがないので、ここまでにしますが、
私がここまで言い切るのは、実際に使ってみた結果です。
学校英語の問題点は、現実世界で使ってみないと、見えてこないんだと思います。


それで、ここで自分がやっていることを公開できれば一番なのですが、
ちょっとマズイので、片鱗だけお話しますが。。。


先日、私が関わったとある出版物がebookの形でamazon, google等から販売されました。
制作にあたっては、英語話者(ネイティブ、そして第二言語としての使用者)の人たちと、
頻繁にメールで連絡しあい、作業を進めたわけですが、
顔を合わせたこともないような仲間で、たった一ヶ月で、
1冊の本を、翻訳出版にまでもっていきました。


この過程でメールに使った私の英語に、
受験英語なんて、微塵も役に立っていません。
だいたい、あんなbig wordを使って書いていたら、
膨大なメールのやりとりなんで、不可能ですよね。


そして最初の「害」ということですが、メール等、発信をしようとすると、
日本語で仕入れた単語の意味が邪魔をします!


例えば、ちょっとぼやかしたいときに、someって便利だなって思いますけど、
some=いくつかって覚えてたら、使えませんよねー
nowなんていうのも、今、ってインプットされていると、
ちょっとしたクッション用には使えない。


他には、手紙を書くのにdear, sincerelyでしたっけ、習いますけど、
(「メール書くたびにsincerely の綴りを確認しないといけなくって。。。」と、
嘆いている方がいましたが、)
私は一度も使ったことがありません。
そこまでフォーマルにしないといけないメールを書く機会って、多いものでしょうか?


・・・


まだまだ書きたいことはありますが、ともかく、
日本の学校英語にも、書店の英語学習コーナーにも、
真似してはいけない英語の学び方が蔓延しています。
そういうものには近寄らず、学び方は「使っている人に聞く」
それが一番かと思いますよ。


(追加)
日本人著者のビジネス英語関連の本も、多数書店に並んでいますよね。
そのどれもが上等な英語を使っていて、
私には使いこなせない~と思います。
あとツイッターでも、ビジネス英語について、やたら難解な文章で、
高級英語を使うようにとすすめる英語の先生もあります。


で、よく疑問に思うのです。


ああした本やツイートは、いったい誰を対象としているのだろう?
あのレベルの英語を使いこなそうとする人だったら、
日本語で書かれたものなんかすっとばして、
英語でグローバルな読者を対象に書かれた参考書を読むんじゃないのかな、と。


ここにあるのは、
難しそうな顔をしておけば、読者はありがたがって買ってくれる、
使えるようにならないのは、読者の勉強不足だと思わせておけばいい、
という、英語コンプレックスをうまく利用した戦略じゃないだろうか。
そうした本や先生に踊らされてはいけないと、強く思うのです。
(Writer: MrsMalone)

2012/06/08

Stop TESTS, in the name of love...

I've found the most efficient way to learn a foreign language.

GET RID OF TESTS

I mean ANY kinds of tests on a foreign language. That's it. 

Especially, Japanese people are obsessed with test score. Did you know more than half of TOEIC examinee is Japanese. Hahaha. I don't think so many people NEED to use English in daily life or for work.

You want to know your level of English. I understanda that. But, I think you should have your own standard, like "Wow, I could read this book!" " I could talk with my Vietnamese friend in English."

BELIEVE IN YOURSELF! JUST USE ENGLISH!

Nobody in the world would say, "Oh, that's grammatically incorrect." nor "Native speakers don't say that way." when you chat in English. Only arrogant Japanese Teacher of English (or would-be English MASTERS) keep on saying such things.

So, don't worry about tests. I mean, "NEVER EVER" take any tests.

What led me to think like that?

I teach Spanish, as elective subject. My students took it cuz it seemed fun or they don't want to "study" anything. And those classes are easy for me because I don't have any standard to achieve.

Even so, I had been giving some tests.But I stopped it three years ago. The result. Now my students are better.

It might be hard to believe, but that's true.

If you're a Japanese native speaker, take a look at NIHONGO NOURYOKU KENTEI SHIKEN. I hope you understand what I'm saying here.

So, get rid of tests and have a happy life!

テストをやめれば英語ができる!

英語ができるようになる一番の方法発見しました。

テストをやめることです。

んなこと言っても、ダメですよね。だったら、「テストは受けない。」「気にしない。」

ってことです。(受験生の人はごめんね。)

learnって言葉、英和辞書にはどう書いてあるでしょうか。

「…を習う, 学ぶ, 教わる」

なんか違うんですよね。learnは「ごちゃごちゃやってるうちにできるようになっちゃうか、その過程にあること」って気が私にはするんです。

念のためlongman dictionaryを見ると、"to gain knowledge of a subject or skill, by experience, by studying it, or by being taught" (経験したり、勉強したり、教わったりして、なんかの知識を身につけたり、なんかができるようになること。)

ほらね。「by experience」の部分が日本の辞書からはすっぽり落ちてるんです。

日本では「learn English」というのは、テストの点がとれるように勉強することになるんですねー。

今月の「東洋経済」誌で、TOEICについての記事がありました。TOEICのスコアと話す力、書く力の相関性がどんどんなくなってきているとのこと。これは受験者が増え「受験勉強して」スコアを伸ばす人が増えたからだそうです。なんて馬鹿な話でしょう。

企業で英語が使える人間を見極めたければ、その人に英語で仕事させればわかること。なんでそんなことがわからないんでしょうね。

結局、わたしたちは「何か信じられる基準」を求めてしまうのではないでしょうか。今自分が英語がどのくらいできるか、ってことを知りたい。それは正常だと思います。しかし、その基準が「テスト」であることが問題。

そんなことよりも、「こんな本が読めた。」「英語でこんな話ができた。」という、「自己チュー」な基準で満足しましょうよ。

英語で世界中の人と話しているときに、「あなたの英語は間違ってます。」とか「ネイティブはそんな言い方しません。」っていう人は、いません!こういうこというのは、「自称英語名人」の日本人か、あるいは、日本人の弱みにつけこんで商売しようとしている悪いガイジンです(笑)。

さて、なんで私は「テストが悪い!」と思うようになったか。

私はスペイン語も教えています。選択科目なので、完全に「楽しきゃいい」ってノリでできます。成績も、「積極的にスペイン語を使うかどうか」で決めてます。楽しんでやっててくれればほとんど4か5あげてます。

でも、以前はテストをやってたんですが、3年前からやめました。すると..

今の方が全然使えるようになってるのです。ウソじゃないんです。

「テストをやらないとまじめに取り組まないんじゃないか?」とほとんどの先生は言うでしょう。はい。そういうこともあると思います。でも、成績はつけてますので、スペイン語を使おうとしない生徒は容赦なく落第させますけど。

生徒は楽しんでるし、なんとか話そうとするし、ほんと見てほしいくらいです。

ということで、結論は、「テストをやめれば英語ができる!」のです。

長くなったので英語バージョンは別記事に。