TAB 多読 -tadoku and beyond!-  

いっぱい読んでたっぷり聞けば、英語はかって出てきます!

  

2013/04/26

ネットサーフィンすると


今日は、あまり語りません。
ネットを彷徨ってぶち当たったサイトのリンクだけおいときます。
現場の先生、そして教育費のために額に汗して働いているお父さんやお母さんたちの目にとまるといいな。

・・・・・・・・・・・・
学校でも、塾でも、子どもたちは何度も学力テストを受けます。
だったら先生にも、「全国教員学力テスト」があってもよさそうですね。
英語の先生にはもちろん「TOEFL」を受けてもらって点数を公表!
http://www.gk-cup.jp/

予備校の授業、見たことありますか?この英語の授業、私は理解できません。

書店の英語学習コーナーへ行くと、かならず目にとまる方々です。

英語が「できるようになる」と書いてあります。
でも、「使える」という文字を見つけることはできませんでした。

英語は使えてナンボとあります。でも、英語で書かれた記事はただの一つもないようです。
英語でブログを書いてあげれば、読者の勉強にもなるでしょうに。

*日本人の英語はここがダメ*といった本をいくつも執筆されている先生は、
ここでも大活躍ですね。

2013/04/23

教育再生は大学から


通信制の大学にこの4月入学した生徒が、どうしても講義を聞きたい教授がいるということで、池袋の近くにある某有名R大学に科目履修生として講義に参加したそうです。以下、彼の報告。

 先週から、R大学の科目履修の授業が始まりました。
初日は現代心理学部の授業でしたが、その緊張感のない授業に唖然としました。

先生は遅れてくる、早く終わる。60名くらいの生徒(おそらく二年生以上)は、
私語が多すぎ。教授はモゴモゴ言っていて、よくわからない。
面白そうな気配はするが、伝わらない。
それにしても、なんでみんな、あんなに友達同士つるんで行動するのか。


また、社会学部の授業は、大教室でした。内容は面白そうなのですが、これまた私語の多さにびっくり。注意しない教授。大学ってなんだ!と真剣に腹が立ちました。

その後、バイト先でR大学の経済学部の4年生と一緒になり、
科目履修の話をしたら、
「出たい授業があったら、どんどんもぐればいい。大学の授業に、そんなに高いお金を払う価値はない。そのためにバイトを増やすつもりなら、バイトをセーブしてでも、通信の勉強に専念した方がいいのでは」
と、言われました。


「教育再生」とか「教育改革」とか言って、小中高の教員をバッシングしている人たちへ。まず大学の教員なんとかしなきゃダメっすよ。こんな教授、小・中・高なら完全に「指導力不足」の烙印を押されますよ。

メディアの方にもお願い。教育に関する「専門家」として大学の教員に教育の話しさせるのやめてもらえますか?(まともなこと言うのは内田樹氏くらいだ。)だいたいね、もし小中高の教員の質が悪いと言うなら、免許発行した大学にこそ責任があるでしょ?教員免許更新で大学の教授の講義を受けなきゃいけないってだけで、私なんか頭に来てるんだからね。

そういえば大学入試にTOEFL導入って話はどうなったんでしょう。

入試にTOEFL導入する前に、全大学の教員にTOEFLを受験させ、ホームページでスコアを公表したらいかがでしょうか。学生に「グローバルな社会で通用する英語力」を求めるなら、教授陣も当然その力なきゃいけないでしょ?TOEFLスコアがその指標になるというなら、教授のスコア公表してください。

みなさんも呼びかけてください。

「大学教授」こそ諸悪の根源なんじゃないですか?

2013/04/17

不毛な議論③


文科省を批判しすぎたので、自己批判として現場の高校教員の批判を。

確かに、高校教員は受験第一、文法訳読が大切と言います。進学校から来た教員に「私は東大に入る生徒を指導してきた実績がある。コミュニケーション重視の授業などできないし、私の仕事ではない。コミュニケーションなんて言っていたら大学入試に対応できない。」と若い教員に言われたことがあります。

でも、教員が文法訳読にこだわる本当の理由を私は知っています。それは自分が英語でコミュニケーションができないからです。

英語できない⇒バレルとやばい⇒文法問題出しとけばもっともらしく「説明」できる⇒自分は「英語ができる」と思わせられる

ってこと。案外単純です。私のクラスには12歳のときまでフィリピンにいて、英語に関しては私がかなうわけないような生徒がいました。(ただし英検1級は英語力だけでなく一般知識も必要なので私が先に受かりましたが。)その生徒、中学の英語の成績はなんと「3」です。「お前不登校だったのか?」と聞いたら、「何言ってんの!ちゃんと行ってましたよ!」と怒られました。純粋に「テスト」ができなかったのです。そりゃそうです。文法問題や和訳問題は本当の英語力とは何の関係もないんですから。

前の記事で、センター試験を批判しましたが、実際に問題を見てみましょう。
2004年の問題

Taro is now devoting all his time and energy ( ) English.
①studying ②to studying ③to study ④study

正解は②です。spend time doing...と言ういいかたもあるので①にする人も多いでしょう。また、学校英文法をしっかり勉強した人は③にします。to不定詞です。

では、なぜ正解が②なのか。devote O to 名詞のように使うからです。get used to 名詞、とかと同じと参考書には書いてあります。動詞にingくっつけると「動名詞」となり、名詞と同じ働きをします。だから②。

この問題の意図は何でしょうか?直感的に①と思った人や、まじめに勉強して③にした人を「ひっかける」ことしかありません。toの後にingが来るのは圧倒的に少ない※1し、この文を①や③で書いたとしても「コミュニケーション」には一切支障はないのではないでしょうか?(①や③で書いたら、まったく違った意味になってしまうといのであればまだわかります。)

この問題が、「できないことを指摘する問題じゃなくてできることを確認する」問題ですか?文科省の見解は?

みなさんも、こういう視点で「センター試験」や「コミュニケーション能力を測る方向にシフトしている」大学入試問題を分析してみてください。

※1グーグル検索で件数を調べました。2桁違いますよ。
"to study"⇒約 111,000,000 件
"to studying"⇒約 3,300,000 件
ちなみに"devote much time to study"という用例も検索してみました。何と
約 23,800 件
もありました。こんなに多くの人が間違えているってことは、コミュニケーションに支障がないってことじゃないですか。
さらに"devote much time to studying"と「正しい」用例も検索してみると、
約 4,480 件 
おーい!Google大丈夫か?それとも文科省大丈夫か?

2013/04/14

不毛な議論②


批判ばかりするのはよくないですね。自分の意見も述べておきます。「英語の授業は英語で!」という方針をどう思うか。

何とも思いません。
It doesn't matter much to me... って感じ。

それよりも重要なのは、

「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とする」

ことです。これができれば教員が日本語で話そうが英語で話そうがスペイン語で話そうが関係ありません。(というか、教員が話す時間は少なければ少ないほどいい。)

英語が使えるようになるためには、「使う」しかないのです。使って使って使いまくる。それが大事。その意味では指導要領の上の部分には100%同意しますよ。

でも、そんなこと日本の教育環境で許されますか?許されません。日本の教育現場は「間違いを正す」場になってしまっています。間違いだらけの英語を使うことは許されないのです。そんな状況で、生徒が英語使うわけがない。使おうとすればするほど間違えて減点されるからです。

生徒が書いた英語を見て教員がこんなことを言います。「文の最初が大文字ってことも知らない。」「be動詞も正しく使えない。」「過去形使わずに、全部wasつけて済ませてる。was goとか書いてるんですよ。信じられない。」

定期テストで自由作文の問題を出すと、「文法ミスはマイナス1点」「大文字じゃなかったらマイナス1点」「スペリングミスはマイナス1点」「ピリオドがなかったらマイナス1点」ということを本気で議論しています。書いた内容がどうかというのはほとんど話題になりません。だから、「使えば使うほど減点される。」のです。

(ちなみに私は高1~高2では、「書いてオレに意味が伝わった語数分を点にする。」という方針でやってます。高3になったら、内容や構成等も考慮します。)


「『できない部分を指摘する』テストから『できるようになったことを明らかにする』テストに改善する必要がある。動機付けのためにも授業やテストにおいて、子どもたちに小さな成功体験を重ねさせることが英語教育に求められており、その趣旨は新学習指導要領にも反映されている。学習者を大切にした英語教育改善になっている」

と言っています。「小さな成功体験を重ねさせる」という部分は本当にその通りだと思います。これは、こどもにスポーツや楽器を教えるときも同じ。ボールがバットにあたった!相手のグローブにボールを投げることができた!あの曲のイントロが弾けた!こういうことって、めちゃくちゃうれしいですよね。そういう体験をたくさんすれば、外国語がどんどん面白くなります。面白いからどんどん使う、使えば使うほどうまくなる。うまくなればもっと使う。もっと使うからもっとうまくなる。という、いい循環が生まれます。

でもね、こういうこというんなら、入試の英語は全て廃止させないとダメでしょう。

「『できない部分を指摘する』テストから『できるようになったことを明らかにする』テストに改善する」

これ完全な詭弁でしょ。テストはテスト。要するにテストの結果を判断する側(要するに学校当局ね)が、「できない部分」に注目するか、「できた部分」に注目するかの違いです。結局、テストをして、その結果を「成績」や「入学許可」に使っている以上、こんなこといくら言っても何の意味もないのです。

「その趣旨は新学習指導要領にも反映されている。学習者を大切にした英語教育改善になっている」

「なっている」って...学習指導要領は単なる書類です。その文言を変えたくらいで「改善になっている」とはどういうことでしょうか。「改善につながる」ならまだわかりますが。文科省は学習指導要領の「趣旨」が改善につながるための努力はしているのでしょうか。

大学入試が変わらなければ英語教育も変わらない、という現場からの指摘に対しては「大学入試問題はどんどん変化している。知識を問う問題からコミュニケーション能力を測る問題にシフトされつつあるが、それに気付いていない高校も多い。過去問中心の受験勉強では苦労のわりに学習効果は少なく、生徒が気の毒」と、「受験英語の思いこみ」に注意を促した。

大学入試問題の傾向が変わっていることは確かです。ただし、「コミュニケーション能力を測る問題」は言いすぎでしょう。そこまでは行っていません。そもそも、コミュニケーション能力なんて筆記テストで測れるのでしょうか?また、測れるとしても、それを正しく採点できる人材が大学側に十分いるのでしょうか。絶対いません。

また、「生徒が気の毒」とも言ってますが、実際現場の教員は、合格できるための力をつけさせようと思っています。「過去問中心の受験勉強では苦労のわりに学習効果が少ない」というのであれば、コミュニケーション中心の「受験勉強」の方法を具体的に提示し、もしそれが失敗したら責任をとるくらいの覚悟も示さないといけないでしょう。違いますか?

特に進学校の教員は、新しいことをするのはすごく勇気が必要です。新しいことをして、もし受験に失敗する生徒が続出すれば批判されるのは教員です。前と同じことをやっていて失敗する分には「生徒の努力が足りなかった」で済みます。だから、やり方を変えるのは大変な勇気と、絶対に成功するという自信がなければできません。そして、生徒も保護者もその方針を理解しついてきてくればなければいけません。

コミュニケーション重視の学習が受験にも効果があるというのは私も同意します。しかし、生徒や保護者に理解してもらうのは非常に難しい。その部分でも文科省としてサポートしなければならないでしょう。一方的に現場の教員を批判する資格は文科省にはありません。

(実際私も「塾の先生にそんなやり方していたら受からないと言われましたが大丈夫ですか。」と何度も言われたことがあります。私は、「塾の先生を信じるなら俺のいうことは聞かなくていい。内職していても構わない。それで成績を下げるようなことはしないから。ただし大学落ちても俺のせいにはするな。」と言うしかありません。)

まずは、文科省が作成している「センター試験」がいかにコミュニケーション能力を測っているかを証明してください。その上で、センター試験で高得点とるためには、どのような「コミュニケーション活動中心」の授業を展開すればよいかも提示してください。

間違っても、「それは現場で工夫しろ。」とは言わないように。そんなこと言ったら本気で怒りますよ。

「言語習得は、曖昧さに耐えながらその曖昧さを減じていく営み。日本人は英語ができない、と思い込みすぎではないか。その思い込みは、これまでの高等学校現場での英語教育が、文法を知識として身に付けさせることと、訳読することを中心にしてきたことが原因。いまだ、かつてのラテン語教育と同じ手法(文法訳読)を使っている高等学校も少なからずあり、読解はできるが、音声面での習熟が全くできていない生徒を生み出すという実態がある。英語をコミュニケーションの手段として活用する能力を身に付けさせることができていない。この点を抜本的に改善することが、日本の英語教育に強く求められている」

「曖昧さに耐えながら」の部分は同意。この論文にも、第二言語(外国語)学習支援の「原理(Principle)」の1つとして、"PROMOTE AMBIGUITY TOLERANCE(曖昧さに耐えることを促進する)"が挙げられています。

また、「日本人は英語ができない、と思い込みすぎではないか。」も同意。拍手したいくらいです。私は「日本人は英語ができる!」と思っています。できないと思わされてるだけ。そう思わせてるのは「英語ムラ」です。「これまでの高等学校現場での英語教育が、文法を知識として身に付けさせることと、訳読することを中心にしてきたことが原因。」はい、これもその通りです。高等学校の教育現場も、英語ムラ3丁目にあります。

しかし、「文法訳読中心」で学習してきて、「英語が使えない」と思い込まされている生徒が、センター試験で高得点を取っているのも事実です。センター試験が、学習指導要領を反映しない無責任なテストと言わざるをえません。

以前文科省は、「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想」を策定しました。(この記事も参照。)これ、裏返せば「日本人は英語が使えない。」って言ってることと同じでしょ。結局、私から言わせれば文科省だって「英語ムラ」の中にあるのです

あれ?結局批判になってしまいました。
ちょっとフォローもしときます。

太田氏自身は本気で生徒のことを思っていますし、本気で日本の英語教育をよくしたいと思っている人だと、実際生でお話を聞いて強く思いました。また、引用させてもらった文章も、本人の発言を誰かが「編集」しているでしょうから、そのまま批判するのは筋違いかもしれません。

しかし、文科省として学習指導要領をつくっている以上、現場の教員として批判は遠慮なくさせてもらいます。太田氏はいろんなところで講演をしています。ぜひみなさんも一度直接お話を聞いてみてください。(あんまフォローになってないね。)

2013/04/11

不毛な議論①


高校では4月から新学習指導要領が実施されます。「英語の授業は英語で」行うことになりました。英語力養成のためにはこの改正を歓迎する声が多いとともに、現場の先生には戸惑いもあるようです...

どうせ、こんなニュースが流れますよ。実際、新聞やテレビから取材要請が数件ありました。Asahi Weeklyの取材も受けました。「本音と建前どっちがいいですか?」と聞くと、「是非本音を。」というので本音を話しましたが、やはり記事にはできませんね(笑)。

実際に学習指導要領にはこう書いてあります。

第3款 各科目にわたる指導計画の作成と内容の取扱い
2 内容の取扱いに当たっては,次の事項に配慮するものとする。
(3) 英語に関する学科の各科目については,その特質にかんがみ,生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため,授業は英語で行うことを基本とすること。その際,生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮すること。(※下線部オレ)

下線部をよーく読んでください。この部分を読まずに「英語の授業は英語で」と言っても何の意味もないのです。

現場の教員のとまどいの声
「文法を英語で説明して生徒がわかるわけがない。」「本文の内容を英語で説明しても、生徒がわかるわけはない。」「英語で授業していたら大学入試に対応できない。」

この戸惑いはトンチンカンです。

学習指導要領は「英語で説明しろ」とは言っていない。授業時間に、生徒が「英語でコミュニケーションする」ようにしてほしいと言っているのです。また少しでも英語に触れる機会を増やすため、先生にも英語で話してほしいと言っているのです。わざわざ「生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮すること」とも書いてあります。生徒が英語では理解できないと思われる内容を伝えなければならないときは日本語を使えばいいのです。(←もしこれが違うというなら、私は文科省に徹底的に抗議します。)

文科省視学官太田氏は、「日本は日常生活で英語を使わない。せめて、学校の英語の授業時間は英語を使う時間にしないと使えるようになるわけがない。」と言っていました。学習指導要領の「趣旨」自体は、英語の授業時間は日本語よりも英語があふれる環境をつくろう、ということです。

しかし、日本の学校では、教師が生徒に知識を「教える」というのが大前提になっています。この大前提をひっくり返さないことには「英語の授業は英語で」なんてできるわけがない、つまり学習指導要領の趣旨を教室に活かすことはできません。

今までの「普通の」英語の授業を想像してください。授業中生徒が「英語を使う」時間は50分中どれくらいありますか?多分限りなくゼロに近いでしょう。生徒が本当に「英語を使う」時間が10分もあれば、それはもうすごい授業です。

また、新しい教科書も、「授業を実際のコミュニケーションの場面とするため」には向いていません。結局、本文を理解することがメインの構成になっており、さらに文法事項が各課の最初のページに来ています。以前より「文法訳読」がしやすい構成になってしまっているとも言えます。少なくとも、OxfordやPearson等から出ているCourse Booksの方がよほど「授業を実際のコミュニケーションの場面とするため」には向いています。どうしてこんな教科書が検定を通っているのか全く理解できません。(太田氏は講演で教科書会社を批判していましたが、「検定」という権力をもっている人間に批判はできないはず。批判するのであれば検定に通さなければいいじゃないですか。出版社という「財界」と対立できないだけじゃないですか?あるいは「私自身は検定担当ではない」とでも言うのでしょうか。)

こんな状況で「英語の授業は英語で」だけ一人歩きしても、日本人の英語力は向上しません。絶対。

学習指導要領の中の、たった数文字だけを抜き出してああだこうだ言うのやめませんか。

実は、数十年前から、教科書を使いながらも「英語で」授業している教員はいます。ただし、それができるようになるためには徹底的な研究と研修が必要。全教員にそのための時間と環境を与えない限り無理です。文科省も、「実際すでに英語で授業している教員はいる。」と言っていますが、だとしたらそれがもっと広がるような努力をすべきです。「こちらは努力しているが現場が言うことをきかない。」という論理はやめてください。言うことをきかないなら、「どうしたら言うことを聞いてくれるか」をもっと考えて、必要であれば権力も行使すればいい。ただし権力を行使するときには、公立にも私立にも同じく行使してくださいよ

2013/04/06


著名な英語教育学者、クラッシェン大先生が、自民党の「大学入試へのTOEFL導入」という提言に対し、苦言を呈しています。原文はこちら。大先生に「訳してブログに掲載してもいいですか?」とコメントしましたが、返事がないので勝手にやっちゃいます。(怒られたら謝る。)

以下、日本語訳です。(急いで訳したので読みづらい日本語ですが、ご勘弁を。)
  
ジャパン・タイムズ 3月31日社説「英語教育VS英語テスト」について
  Stephan Krashen
 社説で述べられていることは全く正しいと思います。お金をかけるべきものは英語教育であって、「テスト」でありません。1つ提案があります。コストをかけずに大きな成果をあげることができます。TOEFLのような高額なテストにかけるお金を、英語図書館の整備にあてるのです。英語図書館には生徒が楽しく読める、やさしくて様々なジャンルの本を揃えるのです。小説、マンガ、雑誌などあらゆる種類の英語の本を揃えます。読めば読むほど読解力も作文力もあがり、語彙も豊かになり複雑な文法規則も使いこなせるようになるということは、世界中で行われている研究で明らかになっています。また、簡単なものを気楽に大量に読むことで、もっと難しくて内容の濃い文章も理解できるようになるということも、世界中で広く証明されています。このことは母語にも第二言語にもあてはまります。日本の成人英語学習者に対する研究もあります。四天王寺大学のベニコ・メイソン教授は、2、30年前から現在まで調査を続け、多読の効果を示しています。最新の研究からは、指導も受けず、自ら本を選びながら読んだ人(あるいはそれに近い人)がTOEICTOEFLで大きなスコアアップを成し遂げていることがわかっています。昔ながらの勉強をしている人をはるかに凌ぐスコア上昇率なのです。
  
ジャパン・タイムス社説 日本語訳 (英語ムラに対する皮肉も入っています。)
  自民党の教育再生実行本部(遠藤利明本部長)は28日の会合で、すべての大学入学と卒業に英語運用能力テスト「TOEFL(トーフル)」を活用するなどの提言案を提示した。1兆円の予算を計上しているが、この提言が効果的だとは思えない。

 日本人の英語力向上が急務であることは確かである。TOEFLのスコア比較でも、アジアでは日本よりもスコアが低いのはカンボジアとラオスだけという状況では、国際社会から取り残されると考えてしまうのも無理はない。
 しかし、日本に必要なのは英語の指導法を改善することであって、テスト方法を改善することではない。テストのスコアを上げるよりも、大学を卒業したものが実社会の中で英語が使えるような教育方法を考えるのがよほど大切ではないか。指導方法を考えずにテストの点数で「足切り」するという政策は「試験テクニック」だけを意識した教育が促進されるだけである。
 1兆円の予算の具体的な使い道も示されていない。高額な受験料を誰が負担するのか。ちなみに、現在の受験料は225ドルである。現在の提言では全ての学生が最低でも入学時と卒業時の2回受験しなければならない。政府が受験料を負担することになれば、その分、教員は教材等の予算が削られることを意味する。テストを作成しているETSは非営利団体だが、莫大な利益を得ることは間違いない。日本の塾・予備校産業もTOEFLフィーバーに対する準備を着々と進めているはずだ。
 アジアの中でTOEFLの得点が高い国は、こののようなテスト強制はしていない。年少からコミュニケーション能力を重視した英語指導を行っており、また、英語教師の待遇や研修環境の改善、教材開発等を積極的に支援している。そのような国に追いつくためには、実質的な、そして意味のある英語教育の改革が必要である。
 確かに、TOEFLでは4技能がくまなくテストされる。しかし学生は試験を受けるだけではなく、実社会で英語を使わなければならないのである。英語でプレゼンテーションや議論をしたり、文書のやりとりをする技能はTOEFLでは測れない。
 試験テクニックではなく、本物の英語力を身につけさせるには、まずは教師が教授法を開発し、経験や研修を積むための支援が必要だ。提言では、教師に対する支援に関する言及は全くない。しかし、長い目で見れば教師を支援することが初期投資としては最も効果的である。教師はテスト対策の研究をするのでなく、実社会でのコミュニケーション能力を自分自身が身につけることで、生徒のロール・モデルになるべきである。
 学校も、生徒が英語学習に積極的に取り組めるような環境を整備する必要がある。1兆円もの予算があれば、英語圏への訪問やインターネットでの交流活動も実現できる。生徒の興味をひく教材を開発し整備することもできる。
 「テストが終われば英語なんて見たくもない」というのではなく、生涯にわたって英語を学習していく人間を育成することを英語教育の中心にすれば、将来、国際的に活躍できる人材を生み出すことができる。
 学生をテストに向かわせるのではなく、英語でのコミュニケーション能力を効果的に高めるような提言こそ必要なのである。自民党の問題意識は正しいかもしれないが、提言は問題の解決からは程遠い。

Krashen大先生の著書
読書はパワー
The Power of Reading: Insights from the Research
Free Voluntary Reading